偶然

昨日の帰りは、同期五人が集結したので飲み会でした。皆さん色々色々盛りだくさんあって、面白かったです。今日は夕方から大学の先輩やら後輩やらの顔を見に行ってきます(一時間くらい)。なんか学生時代に比べると人と場を設けて会う機会が増えたな、と思います。
小田急ケーブルからニフティにプロバイダ変更。メールアドレスが今月一杯で変更されます。といっても基本的にプロバイダ提供メアドは、何かの登録時にやむを得ず、くらいにしか使わないので、ほとんどのオン・オフ友人知人はヤフーのフリーメールに送ってくださっているはずです。そちらは変わりませんのでご安心を。ocv.ne.jpメールを使っている方にはなるべく変更メールをお送りしておき…ます(多分)。
基本、全部返信でメールして、アドレス帳に登録しない子なので、一括送信できないのがアイタタ。
と、「アイタタ」で思い出しましたが、昨日の電車の中で、「イタイ女」という雑誌広告の文言をみていて、ふと。「痛い」は通常肉体的苦痛に対する形容詞ですが、最近、人間とその行動や性格、見た目を表現するのにも使用されます。いわゆるカタカナで書く「イタイ」というやつです。
で、これは例によって現代の言葉の乱れというか流行言葉というかそういう風に捕らえていたわけですが、そう言えば、2000年の昔の人も実は似たような用法で使っていたなあということを電車の中で思い出しました。それは「かたはらいたし」。
今で言うところの「片腹痛い」というやつは、広辞苑によると「かたはら」=「傍」を「片腹」に誤ったのが中世以後定着したものらしく、こっちは「身の程知らずにも程があるぞ、笑止なり、このこわっぱ!」って感じの意味合いです。これは横っ腹痛くなるほど笑っちゃうほどおかしいというところからきてるわけで、漢字で書く「痛い」にニュアンスが近い。
ところが、高校の古文の時間に習う「かたはらいたし」は漢字で書くと「傍ら痛い」。こちらは、傍らにいて心が痛む=「一緒にいると心地悪い」ものを形容する言葉で、①相手を評して、「気の毒だなあ(同情/憐憫)」もしくは「気持ち悪いなあ(嫌気)」の意味か②自分を評して、「いたたまれないなあ(恥辱)」という意味になります。
で、この「傍ら痛い」感じのニュアンス、これが今で言うところの「イタイ」感じにすごい通じるものがあるんじゃないかなあと思うわけで。「イタイ」と感じる対象物は変わっても、この「アイタ〜」なもやっと感、居たたまれなさ、という感情そのものは、昔も今もなんら変わらないんじゃないかと思っております。
ついでに、「居たたまれない」は広辞苑でひくと本当は「いたたまらない」らしいですよ。(高校の友人に教わりました薀蓄)


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koumei様>応援ありがとうございました♪ううっ、こんな私的な呟きにまで目を通してくださってホント申し訳ないくらいです…(感涙)が、頑張ります!!